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双剣岩

この双剣岩は坊津町(南さつま市)のシンボルである。右隣の小島が鵜ノ島。坊津を象徴する景観である。双剣岩は左側が雄岩(27m)右が雌岩(21m)
この写真は歴史資料センター「輝津館」2階のテラスから撮ったものである。この写真の網代は平成13年1月国指定名勝「坊津」として文化財指定を受けている。それほどこの景観は素晴らしい物であるということの証である。
この写真を撮った日に山本コウタロー氏を招いて「岬祭」が開かれた。
この坊津は江戸時代の人々もこの景観をこよなく愛したようで「坊津八景」として残されている。その八景とは「中島晴嵐」、「深浦夜雨」、松山晩鐘」、「亀浦帰帆」、「鶴崎暮雪」、「網代夕照」、「御崎秋月」、「田代落雁」をいうという。
昨年6月(2005年)八丈島に行ったとき八丈八景があったがそのネーミングと全く同じであることに驚いた(因みに八丈島では前崎晴風、大里晩鐘、尾端夜雨、神湊帰帆、名古秋月、藍ケ江落雁、大坂夕照、西山暮雪の八景である。)。また滋賀に行ったときにも全く同じ近江八景があった。江戸時代の人々の美しいものに対するネーミングの一つのルーツというか決まりのようである。
この入り江は太平洋戦争末期に海軍の震洋というモーターボートの特攻部隊が配属されていた場所である。
その部隊の通信下士官として赴任してきた梅崎春生がここを舞台とした「桜島」、「幻化」を書いている。「輝津館」のとなりに梅崎春生と震洋の碑が建っている。(詳細
遣唐使船
泊港を出て、坊浦(網代)、泊浦(江ノ浦、藤太ヶ浦)のサンゴ海域を約1時間で周遊するグラスボートです。海底のグラスからは、サンゴや泳ぐ魚などがみられます。
毎年4月1日から10月末まで運行する。
予約が必要:TEL (0993)67-0171(坊津歴史資料センター 輝津館へ)
坊津八景について
この八景は16世紀末に坊津に流された京都の公家近衛信輔(信尹)が坊津八景を選定し和歌を詠んだという。
又本文中に書いた近江八景は石山の秋月(石山寺)、勢多(瀬田)の夕照(瀬田の唐橋)、粟津の晴嵐(粟津原)、矢橋(八橋)の帰帆、三井の晩鐘(三井寺)、唐崎の夜雨(唐崎神社)、堅田の落雁(浮御堂)、比良の暮雪(比良山系 )の八景で、滋賀を旅行したときに歌川広重の絵を見たことがある。
当時はなんとも思わなかったが、しかし、坊津八景を知ってから辿っていくとこの近江八景も近衛信輔が選定したとするのが有力でというから驚いた。
因みに
八丈八景は、慶応2年(1866年)に常陸の流人、鹿島宮司恒塙伊豆守・中臣則文(かしまぐうじこういづのかみ・なかおみのりぶみ)が八丈島流罪中に近江八景にならって、選定し、漢詩に詠んだものです。 是も近衛公と繋がっていたのである。
坊津八景と近衛信輔が詠んだとされる和歌は以下の通りです。
「中島晴嵐」、松原や麓につづく中島の嵐に晴るる峰のしら雲   
「深浦夜雨」、舟とめて篷もる露は深浦の音もなぎさの夜の雨かな
「松山晩鐘」、今日もはや暮に傾く松山の鐘の響きに急ぐ里人
「亀浦帰帆」、亀が浦や釣せんさきに白波のうき起と見て帰る舟人
「鶴崎暮雪」、鶴が崎や松の梢も白妙にときはの色も雪の夕景
「網代夕照」、磯きはの暗きあじろの海面も夕日の跡に照らす篝火
「御崎秋月」、荒磯のはまくぐりし秋の月かげを御崎の浪に浸して
「田代落雁」、行末は南の海の遠方か田代に下る雁の一行

いずれの歌もとても風情があって素晴らしいものである。
今度帰省したら全ての場所の写真を撮ってさらに詳しく紹介します。(2008.12.29日加筆)

2006年(平成18年)8月14日 午前11時15分撮影 撮影地(MAP)

 

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