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下浜・密貿易屋敷

江戸幕府の鎖国政策に反して、密貿易を行っていた薩摩藩の拠点がここ坊津。豊臣秀吉の逆鱗に触れ近衛公がこの地に流された。入り組んだリアス式海岸の一番奥まった入り江の奥にある集落は細い路地や石の階段等、密貿易の時代の華やかさは無いが、昔ながらの漁村の風情が残る街並みである。
密貿易屋敷跡(森吉兵衛屋敷)密貿易屋敷跡」と行っても行政が運営しているわけではなく、個人のご自宅です。
以前友人が宿泊しました屋敷内には隠密に貿易を行うための構造上の様々な工夫(中二階・覗き窓・隠し部屋など)がなされていました。
1732年(享保17年)の密貿易取り締まりのよりこの地は廃れていった。
 近衛屋敷登藤
 近衛藤
近衛屋敷跡と藤   (昭和37年11月1日市指定) 左大臣近衛信輔(のち信尹)は豊臣秀吉の怒りにふれて、文禄3年5月21日(西暦1594年)坊津に流され、翌年8月28日までこの屋敷に住まわれていた。 当時公は30才で、書画や和歌に長じ、すぐれた京文化をもたらした。 公お手植えと伝えられるこの藤は「近衛藤」と呼ばれている。なお、坊津戸主会は大正14年8月25日(西暦1925年)「関白准三宮近衛信尹公謫居舊址」の記念碑を建立。 題字は裔子近衛文麿の筆跡蹟」である

下浜の入り江
国道226号線のトンネルを抜けて信号のある場所を海沿いに曲がり、郵便局の手前の路地を右折するとこの光景が広がる。
坊の浜の漁港の端から振り返る。
背後の山の稜線に風力発電の風車が林立する。これは歴史と緑の坊津と両立するものなのだろうか・。坊や泊の海岸線から写真を撮るとどうしてもこの風車が入ってしまうのが残念。
向かいの中腹に一乗院跡の坊泊小学校がみえる。
海岸沿いの狭い石段の町並み。
 深浦旧郵便局からの入江
 石畳の道
 坂道
 坊の入江
 峰が崎からの展望
  峰が崎からの展望
 番所からの坊の入江
 坊から東シナ海



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