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久志入り江

久志中学校下の海岸線からの久志湾のパノラマ(3枚の写真を合成した)。左が博多浦、平尾方面。背後に車山。中央が小島。右が宮崎鼻、塩屋。
博多浦から久志湾を望む
博多浦の小さな江籠潭(えごたん)と呼ばれる入り江。
その先の堤防は新しい漁港
平尾集落から
平尾集落から小島とその奥に長者鼻
平尾集落から
宮崎鼻とその先に末柏浦と今岳
平尾集落から久志浦
その背後に聳える陣ノ尾
久志漁港のそばの大きなアコウの木
久志から平尾、博多浦方面
久志から宮崎鼻、塩屋方面
江戸時代久志浦は網を中心とした漁業で栄えた。特にまた中村家と重家が廻船問屋制の中心的存在として繁栄したといわれる。
中村家は、慶長年間から琉球・南方貿易に従事したと伝えられ、第三代中村宇兵衛が琉球の女性との間に生まれた子供を系祖として琉球士族・宇氏が成立したと輝津館に紹介されている。
重家は、文政年間年)に士分を得、その繁栄は明治期まで続いた。
1828年の治兵衛の肖像画が輝津館に所蔵されている。また輝津館には、1983年に重家の屋敷脇の小川から出土した関船(江戸時代の軍船)の舵の一部も保管・展示されている。⇒の写真がその出土した舵
※(中村宇兵衛の玄孫が、琉球の浄土真宗法難事件の仲尾次政隆である。この事件は代々真宗の信者であった政隆が下級士族や遊女などに禁制の真宗を布教したことが王府に発覚、詮議の結果八重山への無期流刑となった。しかし流刑の待遇は破格のものであったという。後に赦免れている)
久志の重家から出土した舵

 

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