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小原國芳先生誕生地

坊津町久志は全人教育を教育信条として東京町田に玉川学園を創立した小原國芳先生(1887年(明治20年)4月8日 〜1977年(昭和52年)12月13日)の誕生の地である。(久志では國芳先生といっていましたね・・。)
久志の坊津支所久志庁舎のそばにある國芳先生の生家跡には先生の碑が立っている。MAP この場所は玉川学園のOBにとっては聖地のような場所でバスツアーが来ています。
2010年に玉川学園80周年記念として、この地が公園として大きく改修されました。
1980年までは久志中学校のとなりに玉川学園久志高等学校があったが1980年に廃校となった。その他詳細は坊津町の歴史の中に記載
久志漁協の裏の高台に國芳先生ご夫妻の墓がある。
國芳先生と子どもたちの像は屋根が付けらた。
その前の誕生の碑はそのままの場所に立つ。
公園の全景。
桜の木にソテツ、ヤシの木も植えられている。
背後の尖った山が今岳(268m)
玉川学園、玉川大学を創立者國芳先生の生い立ちがパネルで紹介されています。
玉川学園創立80周年記念と書かれている。
以下の写真は改修される2010年以前の様子。
改修前の小原國芳先生誕生地の碑
背後が久志湾
改修前のラグビーボールの彫られた小原國芳先生献灯
改修前の小原先生と子供たちの像は回収のため撤去されていた。
この上に載る像は下の像です。
2001年のビデオから撮った写真
小原國芳先生ご夫妻の墓 「裔孫之墓」
「新教育の開拓者小原國芳信子ここに眠る。]
裏には「夢」と大きく彫られている。
墓は久志漁協の裏の高台にあり、海に向かっている。
誕生の地から徒歩約8分(約700m)
*この夢は字は普通の夢の字と異なり「夕」の点が一つ多い。一画多いことにより他人より多い夢を持つようにという思いを込めているらしい。サービスマークを登録しているという。
玉川学園第8防災団のバケツ《余話》
2011年5月3日、家族で宮城県気仙沼市にボランティアとして参加した時に、玉川学園第8防災団と書かれた防災バケツを持参した南小谷おやじ隊と称する愉快な中年ボランティアの集団と一緒になった。
彼らに「鹿児島県の坊津町久志(くし)をご存知ですか。」と尋ねたところ。「当然です。学園の創立者小原先生の生まれたところです。」との回答。「私は久志の生まれですよ。この東北で九州の隅の超ローカルな地名をご存知の人達に会うとはびっくりですね。」との会話で話が盛り上がる。80周年で上の写真の國芳先生の生家の場所が改修されたことも知っていたからまたビックリ。 気仙沼ボランティアレポート参照
中央アルプス空木岳(2864m)での出会い
2011年9月快晴の中央アルプス空木岳を木曽駒ヶ岳側の千畳敷から縦走した。そして2日目山頂下にある駒峰ヒュッテから下山の途中、池山小屋下の水場で男性1名に女性2名の熊本から来たというパーティーと一緒になった。朝6時発の新幹線に乗りやってきたとのこと。私が「隣の鹿児島です。」というと、ご主人の親戚が大隅半島志布志の近くとのこと。そこで「私は薩摩半島の坊津です。」というと奥様が「叔母の出身が坊津の・・・久志です。」とのこと。そこで私が笑いながら「私はその久志の出です。」というと驚きの声。先日も叔母さんのお見舞いに行ってきたばかりとのこと。そこで、気仙沼でのボランティアの際であった上の玉川学園のメンバーの話をすると、奥様から「甥が玉川学園の事務長をしておりました。」とのこと。坊津の久志という超ローカルな地名を知っている登山者に出会ったことのご縁に驚くとともに出会いに感謝しました。翌日は御嶽に登りそのあと馬籠を観光して帰るとのことでした。どこかの山でまたお会いしたいものです。お元気でお過ごしください。(2011年10月) 
【またまた驚きの出会い】
そして今年の6月が飯田橋の盈進社という南さつま市出身の女社長の経営する会社の会議室で関東坊津会の幹事会が行われた後の懇親会で隣に座られた玉学園の関係者の方が「熊本にいる従妹が去年アルプスに登山したら、久志出身の人と会ったと電話があった・・」という。なんと空木岳で出会った女性の従弟だった。世の中広いようで狭い・。貴重な出会いに感謝です。(2012年8月)
玉川学園学内ツアー 2011年11月5日に「玉川大学COSMOS FAIR 2011」に南さつま市が物産販売のブースを開設し大盛況でした。その際、関東坊津会のメンバーと私達久志中学校の卒業生が、久志中学校の先輩の大学職員に案内されて日頃は目にすることのできない学園の内部を見せていただきました。 玉川大学コスモス祭り南さつま市故郷物産販売

 

夫婦で登る日本百名山 HOMER’S玉手箱 麹町ウぉーカー(麹町遊歩人) 会津見て歩記 甲府勤番風流日誌 伊奈町見聞記 鹿児島県南さつま市坊津町