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古事記古代神話の舞台

笠沙ノ宮跡

坊津町に西隣、笠沙は古事記にも出てくる神話の里である。
古事記には「向韓國 眞來通笠紗之御前而 朝日之直刺國 夕日之日照國也 故 此地甚吉地詔而」と「邇邇藝能命 於笠紗御前 遇麗美人 爾問誰女 答白之 大山津見神之女 名神阿多都比賣 亦名謂木花之佐久夜毘賣
」と笠沙と阿多という南さつま市の町名の記載がある。
特にこの笠沙はニニギイがここでコノハナサクヤヒメと出会い、神武天応の祖父にあたるホヲリを生む。ホヲリは山幸彦ともいわれ、我が国皇統の初代神武天皇誕生の物語は天孫降臨に始まる神代3代の物語がここから始まります。古事記にも出てくるこの笠沙の宮跡はとても厳かな空気が張り詰めており、パワースポットといえそうです。
MAP
笠沙宮跡
ここから約400m程の間に3つのドルメンと住居跡、石塚等が点在する。
登山口にある案内板

【笠沙宮跡案内図宮の山由緒
皇孫ニニギノミコトが宮居を定めるべき地を探し求めて吾多の長屋の笠沙の御前においでになり、塩土の翁から領地の献上を受けられ「ここは韓国に向かい、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり、いとよきところ。」といたく気に入られ、ここに宮居を定められた神代笠沙宮の古址と伝えられている。
古事記、日本書紀によりますとニニギノミコトはあるときに笠沙の御前で麗しき美人い出会いその名をたずねると大山津見神の娘で神阿多都姫またの名をコノハナサクヤヒメといい、この姫を妃に迎えることになります。やがて二人の間には3人の皇子が誕生し、長子は火照命といい隼人の阿多君の祖となり、末子は火遠理命またの名を天津日高日子穂穂手見命といい天皇家の祖となったと伝えられており、ここ宮ノ山は皇孫発生の大ロマンの可能性を秘めた実に神聖で由緒ある地とされています。

上の案内板の内容
大小の岩が重なり階段状に整地された住居跡などがたくさんある。
ドルメン
巨大な石を組み合わせて机型にした墓。テーブルストーンともいう。この中からは死んだ人に備えたと思われる貝殻などが出土しているという。
皇孫瓊瓊杵尊(ニニギイノミコト)御駐鼻の碑
神話のふる里の碑
大迫亘氏による「神話のふる里に捧げる」の碑文

碑文の内容は下記に記載
黒瀬海岸
神渡海岸ともいわれる。
黒瀬には神渡という名字もあるといいます。
【神話のふる里に捧げるの碑文】 素晴らしい詩です。

神話の古里に捧げる

陽光照り映える野間の霊峰

奇岩百態海浜に林立す

遥かなり雲煙の中に浮ぶ宇治の島々

紫紺の海玲龍として海鳥空に乱舞する

三千有余年前の春三月

櫻花繚乱として山を覆う

何処より参り給うぞ神渡りの岩根

横臥岩礁に戯れる男波女波

咲耶姫窈窕絢爛たり天女の如し

調べゆかり太古の唄

青嵐に萌える野間の山岳茜する

海に倒影す

厳頭変幻自在なり南薩の果に聳立つ

夢の如し点在する小島を眼下に見渡せば

悠遠なり笠沙路に相集う人々の憩い

おのずから安泰なり

久遠の光 宮前の際に輝き

笠沙路の村落の平和張る

紫雲棚引く南海の島山に

眞紅斜陽妖婉たり

幽かなり海岸に奏でる漣の調

夜の帳に人々の心 仄仄と和む

昭和五十年三月 作詞大迫亘

ホメロスの読む古代神話
管理者HOMERが古事記の天孫降臨から神武天皇誕生までの部分を要約してみました。
 【日本初の鉛筆の芯発掘地】
笠沙ノ宮跡を登ると女岳(444m)という山に至り野間岳(591m)に登ることができるその野間岳の南東、女岳の西側にある笠沙の小浦から黒瀬に抜ける途中にある椎木集落の山中(集落からの野間岳に向かう林道から一つ小道に入った場所らしい)に地元で日本最初の鉛筆の芯発掘の地と伝えられる場所がある。
その昔、その洞窟で鉛筆の芯となる黒っぽい石炭のような石を採掘していたという。
子供のころこの洞窟で遊んでいて外に出ると顔や服が真っ黒になっていて、そのまま帰ると母親に怒られるため近くの川で洗って帰ったという経験をお持ちの方から教えていただいた話題である。殆ど紹介されていない話題ですのでここで紹介します。有難うございました。
(2014年8月16日加筆)

2011年(平成24年)12月31日 午前7時20分撮影 撮影地

 


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