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伊能忠敬の日本全図

江戸時代詳細な日本地図を作製した伊能忠敬は当然我が薩摩も測量に来ている。第7次測量として文化7年(1810年)4月29日〜文化7年12月30日に宮崎県の日南から始まり鹿児島の大隅半島と薩摩半島、甑島、天草から熊本まで測量している。
そして我が坊津には文化7年(1810年)7月15日枕崎(鹿篭村枕崎浦)より坊津村に入り庄兵衛・吉兵衛宅に2日間逗留し測量。17日に秋目村に入り喜太郎・喜六宅に逗留し20日まで久志村今村浜から末柏浜、平崎秋目村を測量。21日から片浦村に入り浦人長左衛門、甚左衛門宅逗留。黒瀬から片浦を測量している。
伊能忠敬の「九州東海辺沿海村順」によると久志村は家数が436戸うち本村200戸・博多浦48戸、今村浜40戸、、塩屋57戸、池15戸、末柏60戸、平崎18戸とある。
その時の測量により作成された日本全図の南さつま版を平成31年4月に住んでいる埼玉県伊奈町の図書館で見つけて借りてきて写真を撮った。
因みに文化7年の江戸幕府の将軍は第11代徳川家斉(いえなり)でその正室:近衛経熙の養女近衛寔子(広大院)は薩摩藩は第8代(島津家25代当主)蘭癖大名としてて知られ島津重豪公である。重豪公は名君として知られる孫の島津斉彬公を可愛がったと言われる
小湊から野間池、久志、坊津、枕崎
小湊から片浦、野間池、秋目、久志、泊
小湊村、大浦村、片浦村、秋目浦

野間岳も見える。
末柏、久志村、泊村坊津村


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