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久志廣泉寺の県の重要文化財

この近くに禅宗の東泉寺がありそこに平時2年の廃仏毀釈の時、快方法印が頴娃の枚聞神社(開聞神社)のご神体であったこの阿弥陀如来像をひそかに海上からお供して同寺に収めた。しかし廃仏毀釈のためここに埋められた。
平時7年に京都正光寺の住職大八木締聴がこの地に来て本尊の掘り起こしを企てたが断念。明治12年再度久志に来てたれを建て明治12年に彫りだした。そして明治17年に廣泉寺を称した。
その阿弥陀如来立像を修復して今回県の重要文化財となった。
それにこの寺の脇には琉球貿易の豪商重家と中村家がありそのうち講元であった中村家に本願寺から与えられた親鸞聖人と蓮如上人の真筆と伝えられる「南無阿弥陀仏」の六文字尊号が寺に預けられており、令和3年の春親鸞聖人の六文字尊号を写した碑と親鸞聖人の像が境内に建立された。
久志にある廣泉寺
令和3年5月にできた親鸞聖人像とその後ろに親鸞聖人真筆の六文字を写した碑
親鸞聖人真筆の六文字を写した碑
奈良時代の先と伝えられる令和2年4月に県の重要文化財に指定された木造阿弥陀如来立像
木造阿弥陀如来立像
木造阿弥陀如来立像
木造阿弥陀如来立像
 木造阿弥陀如来立像の対中から出てきた紙の束
中身の確認ができないがこれを含めて重要文化財である。
 豪商中村家に本願寺から与えられた親鸞聖人の手になる六文字御名号
 六文字御名号の添えの証明
 この小さな掛け軸は豪商中村家に本願寺から与えられた蓮如上人真筆になる六文字尊号
 蓮如上人真筆になる六文字尊号の副簡
 数年まえの大雨で墓の壁が崩れて出てきた仁王像
逆さまに埋められていたという。
 廃仏毀釈の時にここに埋められていたのを明治12年に掘りだした場所にこの碑がたつ。
 穴ん婆さんの供養塔。

2021年(令和3年)7年
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