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                 「毘沙門天 善国寺」(2)

神楽坂を登りきり平坦な道になり少し下り始めるとその左側に朱色の社殿を持つ善国寺が現れる。

張るには境内の右側にある桜と門の脇にあるピンクの枝垂桜が美しい。毘沙門天善国寺

主の山門の正面の「毘沙門せんべい福屋」さんの前に立つと山門の中に本堂に登る階段と本堂の中が見える。

境内の右奥に大きな桜に木があり、山門の脇には小さなピンクの枝垂桜が植えられいており、桜の季節には山門の朱色、桜の花が美しい。そして紫色の富士の花が終わると緑の豊かな境内になる。

境内は狭く、本堂の右奥に社務所があり左側に菩薩様に柄杓で水をかける浄行菩薩とその奥に小さな社がある。この小さな社が出世稲荷と呼ばれるものである。

本堂の階段の両脇には狛犬の代わりに虎の石像が阿吽の形で建っている。

左側の虎の石像の前にある案内板には以下の通り書かれている。 

新宿区指定有形文化財 彫刻

善国寺の毘沙門天像

所在地 新宿区神楽坂5丁目36番地

指定年月日 昭和60年7月5日

「神楽坂の毘沙門さま」として、江戸時代より信仰をあつめた毘沙門天立像である。

木彫で像高30センチ、右手に鉾、左手に宝塔を持ち、磐座に起立した姿勢をとる。造立時期は室町時代頃かと推されるが、作者とともに詳しくは不明である。

善国寺とは、文禄4年(1595年)徳川家康により建立された。この像は、初代住職である日惺上人が鎮護国家の意をこめて当山に安置したもので、上人が池上本門寺に入山するに当たり、三条関白昭実公より贈られたと伝えられる。

毘沙門天は、またの名を多聞天と称し、増長天、持国天、広目天と共に天の四方を守護する四天王の一つであり、北方を守るとされる

善国寺の毘沙門天は江戸の三毘沙門と呼ばれ、多くの参拝者を集め、特に明治・大正期には東京でも有数の信仰地として賑わった。

平成3年1月

東京都新宿区教育委員会

現在の善国寺は寛政年間までは麹町にありそれが火事で焼失したため現在の地に移ってきたものである。麹町4丁目交差点から日本テレビに向かう坂に善国寺坂という名をとどめている。(麹町ウぉーカー202号麹町界隈の坂2

現在の神楽坂界隈はこのお寺の縁日を中心に発展してきたといってもいいであろう。

縁日とは、神仏との有縁(うえん)の日のことで、神仏の降誕・示現・誓願などの縁(ゆかり)のある日を選んで、祭祀や供養が行われる日である。この日に参詣すると、普段以上の御利益があると信じられ善国寺は毎月5日・15日・25日が縁日で、東京における夜店の出る縁日の発祥の地といわれている(夜店営業の警察の許可が与えられたらしい)。

善国寺境内の話題を拾ってみると幾つか面白いものがみつかった。

ますこのお寺の絵馬はジャニーズ系のファンの多いことが特徴的である。

その原因は2007年1月から3月までここ神楽坂を舞台にしたフジテレビの「拝啓、父上様」にジャニーズ嵐の二宮和也君が主演しこの界隈の光景が映し出されたことによることは想像に難くない。そのため嵐のメンバーだけでなく関ジャニなどのファンがテレビ番組やコンサートの成功などを祈る可愛らしい乙女心が書かれたものが多い。

虎の台座にある不号水準点

私も数回見たが主演の二宮君の扮する田原一平の勤める店は神楽坂4丁目の「本書き旅館」として知られる「和可菜」のあたりの路地であり、よく出てくる階段が鳥茶屋別館からその下の銭湯熱海湯に向かう場所などがよく出てきていた。

 

次に毘沙門天の狛犬というか狛虎は毘沙門天が寅の年、寅の日、寅の刻にこの世にお出ましになったことから毘沙門天の象徴である。

ここで紹介するのはこの虎自体ではなくこの右側の虎の像の台座にある印についてである。右側の虎の台座には「不」のよう記号が描かれている。

これは明治時代の測量の基準となったもので「几号高低標」または「不号水準点」とも呼ばれるものである。





これについては以前「麹町ウぉーカー52号市ヶ谷駅周辺」で紹介したのでそのまま引用する。

・・・唯一日比谷公園の内幸町交差点にある交番の裏にある大きな石がある。この市ヶ谷御門の石垣にあった巨大な石は、形が烏帽子(えぼし)に似たため烏帽子石と呼ばれていて、明治時代に道路拡幅のため石垣が取り壊された際、日比谷公園に移されたという。

この石には、よく見ると中央下部に横8cm、縦9cmほどの「不」に似た記号が彫られている。

「几」と書いて「キ」と読むもので、高低几号または几号高低標とも漢字の「不」に似ているので不号水準点ともいわれるものであるという。

明治初期の内務省が地図つくりを試みていたときの水準点に相当する標石である。

1876年(明治9)の内務省(内務卿:大久保利通)の布達では独立した標石でなくても建物、鳥居などに標示したのだという。現在では250個ほどが確認されており、東京には160個ほどあるという。しかし、地図の作成方法としてドイツ方式が採用されため、イギリス方式のこの印は使われなくなったのだという。ただ、この方式の母国であるイギリスでは現在でも使われているという。・・・

 

最後にこのお寺にロッキード事件で知られる故児玉誉士夫氏の名前が彫られていることである。

一つは山門の右側の柱に有り、もう一つは境内のトイレのそばにある「大東亜戦戦死病没堂前児玉垣施入主 諸霊位追善供養」とかかれた慰霊塔の裏に「昭和46年11月毘沙門天善国寺〇〇施主児玉誉士夫」とある。

我々にとって故児玉誉士夫氏はロッキード事件で被告となった右翼の大物で「政財界の黒幕」、「フィクサー」と知られているが、池上本門寺の檀家総代を勤めており、戦後の善国寺の再建にも多額の寄付をしたのだという。

 

編集後記(2008.6.1)
第1号のを出してから3ヶ月もかかってしまった。坂の名前を取り上げたら次に善国寺以外に無いと思っていたのであるがこの地に来て半年ぐらいではなかな書くことができなかった。そして毎週お昼休みに通いうごとに、書けなくてますますあせったのであるが、福屋さんの名物「勘三郎せんべい」を買ってきてやっと書き上げることができた。
今日はコブクロのアルバム「All SINGLES BEST」を聴きながら・・
そして久しぶりにベーコンとスモークチキンを作りながら・・


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