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筑土八幡神社

筑土八幡神社

飯田橋の交差点から大久保通りに沿って上り熊谷建設の前の交差点は筑土八幡町交差点であるがそこに筑土八幡神社がある。(新宿区筑土八幡町2-1

急な階段の左手には筑土八幡神社と書かれた大きな標柱が立ち、階段の右側に田村虎蔵先生顕彰碑入口という御影石の標柱が建っている。

緑の木々のトンネルの急な石段を登ると右側にこの江戸時代のこの神社を描いた絵と神社の由来を書いた案内板がある。

そこには以下の通りかかれている

「昔、嵯峨天皇の御世(今から約1200年前)に武蔵野国豊嶋郡牛込の里に大変熱心に八幡神社を信仰する翁がいた。ある時、翁の夢の中に神霊が現れて、「われ、汝が信心に感じ跡をたれん。」と言われたので、翁は不思議に思って、目をさますとすぐに身を清めて拝もうと井戸のそばへ行ったところ、かたわらの一本の松の樹の上に旗のような美しい雲がたなびいて、雲の中から白鳩が現れて松の梢にとまった。翁はこのことを里人に語り神霊の現れたもうたことを知り、すぐに注連縄をゆいまわして、その松を祀った。

その後、伝教大師がこの地を訪れた時、この由を聞いて、神像を彫刻して祠に祭った。その時に筑紫(つくし)の宇佐の宮土をもとめて礎としたので筑土八幡神社と名づけた。

さらにその後、文明年間(今から約五百年前)に江戸の開拓にあたった上杉朝興が社殿を修復して、この地の産土神(うぶすながみ)とし、また江戸鎮護の神と仰いだ。

現在、境内地は約二千二百平方米あり、昭和二十年の戦火で焼失した社殿も、昭和三十八年氏子の人々が浄財を集め熊谷組によって再建され、筑土八幡町、津久戸町、東五軒町、新小川町、下宮比町、揚場町、神楽河岸、神楽坂四丁目、神楽坂五丁目、銀町、袋町、岩戸町の産土神として人々の尊崇を集めている。

御祭神 応神天皇、神功皇后、仲哀天皇 大祭 915日」

筑土八幡神社の鳥居 新宿区で一番古い鳥居であるこの説明板にはもうひとつ宮比神社の説明がある。御祭神は宮比神で大宮売命(おおみやのめのみこと)・天女命(あまのうずめのみこと)とも言われる。古くから下宮比町一番地の旗本屋敷にあったもので、明治40年に現在の場所に遷座したもので、戦災で消失したものを飯田橋自治会が昭和37年に再建したものという。

急な石の階段の中間辺りには立派な石造りの鳥居がありその鳥居の左の柱の裏には「奉寄進 八幡宮 石鳥居」そして右の柱には「享保十一年(1726)十一月十五日 従四位下行豊前守丹治直人正邦」とある。これは常陸国下館藩主黒田直邦が奉納したもので、新宿区内で最古の鳥居で新宿区指定有形民俗文化財である



田村虎蔵先生をたたえる碑
階段を上りきった正面に本殿が見えてくるが、左側の神輿を入れた蔵の手前の木々の中に「田村虎蔵先生をたたえる碑」がある。それは童謡「金太郎」の「まさかりかついだきんたろう・・」という譜面が描かれ、その下に「田村虎蔵(
18731943)は鳥取県に生まれ東京音楽学校卒業後高師付属、奉職 言文一致の唱歌を創始し、多くの名曲を残され、また東京市視学として日本の音楽教育にも貢献された 1965年田村虎蔵先生顕彰委員会」と書かれている。

調べてみると、大こくさま、したきりすずめ、はなさかじじい、うらしまたろう、 したきりすずめ 、一寸法師、 お月さま等が田村虎蔵先生の作られた童謡であるという。

高い木々で木陰が作られた境内の右側には手水舎がある。

庚申塔その隣に船形(光背型)の珍しい寛文4年(1664年)に奉納された庚申塔がある。高さ186センチのこの庚申塔は船の形をしており最上部に月と太陽が描かれ中央部には1対の雌雄の猿が描かれ、右側の立ち上がった猿は身のついた桃の枝を折ろうとしており、左下に座っている雌猿は桃の実一枝を持っている。

庚申塔というと病魔・病鬼を払い除くといわれる青面(しょうめん)金剛像が怖い顔で邪鬼を踏みつけ、謹慎の態度を表すという三猿や月、太陽が彫られているものや文字だけの塔が多いがこのように猿が大きく彫られて桃を取るデザインのものはとても珍しい。

このような構図の庚申塔は全国的にも珍しく新宿区指定有形民俗文化財である

因みに庚申塔は60日に1度巡って来る庚(かのえ)申(さる)のときに、その夜一晩眠らずに過ごし、健康長寿を祈願する庶民信仰。人の体には三匹の虫がいて、庚申の日に寝てしまうとその虫が天帝に人の罪を密告し、命を短めると信じられた。以前、私が住む町の庚申塔を調べてことがあるのでリンク(伊奈町の庚申塔)で紹介する。

庚申塔の隣には「百度石」その後ろの銀杏木の奥には金毘羅神社がある。

筑土八幡神社本殿

狭い境内の奥には青銅の屋根の合掌部が綺麗な曲線の山形をした唐破風の本殿の屋根と赤い柱の本殿が背後の空に映える。

氏子の名前の彫られた垣根の奥には左右に台座に「津久戸」と彫られた狛犬がある。台座の裏には「文化七庚年八月吉日」右側の狛石の台座には「若者中」、左の台座には「若有(?)」と彫られている。(文化年間は1804年から1817年)

そして狛犬の後ろには直径1メートルほどの鋳物でできた古い水盆(正式な名称はわからない)正面に奉納と書かれその間に菊のご紋が飾られている。

その下には奉納した人々の名前が彫られている。読み取れる範囲で書いていると以下の通りである。

右の水盆には「近江屋 伊勢屋 京屋徳次郎 伊勢屋六兵衛 川越屋〇右衛門 〇〇 中田屋利兵衛 伊勢屋新右衛門 鈴木屋弥兵衛 相馬屋滝〇郎」後ろには「文政二己卯五月吉日 鋳物師 釜屋七右衛門 花王(?)」

左の水盆には「四方半次郎 山田屋武兵衛 石屋平兵衛 伊勢屋忠蔵 〇  大田屋兵兵衛 〇河屋〇蔵 三河屋英蔵 大和屋弥三郎  大工〇衛門 裏には 白金町 伊勢屋市右衛門 駿河屋〇  大坂屋〇  肴町 相馬屋添四郎  伊勢屋安兵衛」等と彫られている。

水盆相馬屋さんというのは神楽坂5丁目の歴史のある文具の相馬屋さんおご先祖であろうか。

文政2年は文化年間(1818年から1829年)の1819年であり塙保己一による群書類従正編が発行された年である。

本殿のうらには氏子の各町内の神輿の倉庫がある。

江戸時代この場所を描いた絵には筑土八幡神社の下に「筑土明神」が描かれている。この神社は昭和21年に神楽坂の向かいの千代田区富士見町に移転し昭和29年に九段中坂に移転している。現在では平将門公を祭る神社と知られており築土神社と呼ばれアイレックスビルの中に建っている。

筑土八幡神社はとても狭い境内であるがそこに置かれている全ての物から歴史の重みを感じ取れる静かな場所である。

 

編集後記(2008.7.5)
週末は雨の予定で登山の予定を入れてなかったのであるが晴れて今日はとても蒸し暑い日になった。そしてこの原稿を一気に書き上げた。途中で筑土八幡神社本殿前にある鋳物の水盆の表面に彫られている名前名前を読むためにデジタル写真のソフトを使って拡大したりコントラストを変えたりしながら読み取る作業は古の人びとが現れてくるようで楽しかった。
今日はケニー・Gのアルバム「ムード・フォー・ラブ」を聴きながら・・・。


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